金正堂書店 文祥堂書店

c0199030_21473574.jpg






























講談文庫『大石良雄』奥付

《従来の講談速記本(菊判)の小型化である「立川文庫」の発行は,既に発行されていた『袖珍文庫』(東京・三教書院 明治43年3月創刊)をヒントに考案されたという。〔中略〕ただ,「立川文庫」に先行して,大阪の「金正堂・文祥堂」から,明治44年1月に「講談文庫」が出版されている。》(姫路文学館編『大正の文庫王 立川熊次郎と「立川文庫」』平成16、p28)

《袖珍文庫は,三教書院(東京市神田区佐柄木町)から明治43年6月に刊行を開始した文庫本である。明治44年6月ころまでは,大阪出身の鈴木種次郎(大阪修文館鈴木常松の弟)が編輯兼発行者,山本銀次郎(和田誠の母方の祖父。和田誠『装丁物語』197p(白水社1997刊)参照)が発行者として名を連ねている。明治44年10月ころからは,東京市日本橋区数寄屋町の集文館(木田吉太郎)が発行者となり,大正4年10月まで全81冊を刊行している(33編の明治44年4月4日発行の「春色惠の花/梅兒譽美」が同年5月6日発売禁止となった。このため,改訂削除版として80編『梅暦』を大正3年7月10日発行したが,これまた同年7月25日発売禁止となったため,後に,同じ80編として『南総里見八犬伝』十編が刊行された。)》(吉田勝栄、「[書評]のメルマガ vol.168」)


金正堂書店

実地図解刺繡の仕方橘正治 弘学館書店(発売=金正堂書店)1916
自己を中心として 森田公美 大正8
一風変つた処世と修養自己を中心として森田公美 1919
セヴァーン氏骨相学セヴァーン 漱文堂書店(発売=金正堂書店) 1921
性の受難者 ザッハア・マゾツホ[他] 大正12
新時代の挿花 山根翠堂 みどり会出版部(発売=金正堂書店) 1928


文祥堂書店

《文祥堂
 岡田菊二郎氏
 明治三十八年八月十九日生
 西区靭北通三丁目三三
 同店は明治三五年三月三日、先代の創立になつたものである。先代は立志伝中の人、年少時代よりつぶさに艱難をなめ、一代に基礎をつくり上げた。最初、東区備後町五丁目に店をもつたが、大正三年、同区久宝寺町四丁目に移り、更に同十五年十月、現在地に移転した。大正八年、初代は他界し、其時当主菊二郎君は未だ十五歳になつたばかりなので、小島重太郎、林梅太郎両君が補佐役となり、年少の主人を扶けて営業上に些の蹉跌を生ぜしめなかつたばかりか、益々発展の一路に就かしめたのは大きな功名手柄と謂わざるを得ない。
 営業科目は出版及び東京出版図書の取次販売である。
 当主は大阪市天王寺商業学校の出身。
 手[ママ]版物の好評あるものとしては三浦圭三著「現代文の解釈」、「土佐日記とその口訳」、十六夜日記とその口訳」、「模範辞典」、阪田田淵共著「新式算術」結城著「裁縫教科参考」、同「裁縫学習書」、森本謙著「徒然草とその口訳」等を挙げることが出来る。》(『日本出版大観』1930)

◯註 上図の奥付で岡田菊二郎とともに発行者となっている堀徳次郎は「文友堂書店」主。淡路町三丁目の住所も文友堂と同一である。金正堂は文友堂の経営か(?)
[PR]
by westedition | 2009-04-18 22:03 | 大阪


<< エミヤ書店 文友堂 >>